名前:向日葵 投稿日:2017-05-04
私は今14歳です。
私が小学生になる直前に父方の祖母の家に引っ越しました。
ですが母と祖母の馬が合わず、母は欝になってしまい離婚しました。
四年生だった私は人に「悲しい」と助けを求める方法を知りませんでした。
五年生の時に叔父(父の兄)が突然死。
『「悲しい」って言ってもみんな同じ気持ちなんだから。みんなは泣いてないんだから』
と気持ちを押さえつけていました。
中学になると四年生の時に戻ったように母に会いたくて泣いててばかりになりました。
辛くて辛くて楽しかった部活が嫌いになりました。
見学ばかりするようになり先輩、同学年の子に嫌味を言われるようになりました。
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やめたかったけれど友達が頑張って行っていたので必死にへばりついてました。
当時の担任の先生に相談をして助けの求め方を知りました。
そんな中父が風邪をこじらせ肺炎になり入院しました。
大事な人がどんどんいなくなって一人になるかもと思っていた私は不安で押し潰されそうになりました。
相談に乗ってくれる先生は『大丈夫』そう言ってくれました。
先生も若い時に両親を亡くしているらしくてずっと話を聞いてくれました。
肺炎だったのが心不全・腎不全になり人工透析をしました。
十二月に入院して退院し、
一月に入院して二月に退院し、
また二月に入院しました。
退院したとき父は『死ぬ可能性はほぼないから安心しろ(笑)』と言いました。
ですが三月七日。
不整脈を起こしました。
なんとか意識が戻りましたが、次の日も起こしました。
それからは毎日といっていいほど電気ショックを使いました。
その後はなんとか体調はよくなっていき、
四月の誕生日(父&私)には退院できるかもと言っていました。
ですがさすがに四月は無理だけど五月頃にはと少しのび、
『じゃあここでお父さんの誕生日会しよう!』
とプレゼントを作りはじめました。
色紙に仕掛けをわくわくしながら作りました。
・・・
でも父に見せることはできませんでした。
4月○日。4☆歳でした。
次の日は父の誕生日。誕生日に父は灰になりました。
パパへ
ギター教われなかったね。
新しいクラスの話も担任の先生の話もできなかったね。
もっと海・山にキャンプするって言ってたのにね。
ウチの彼氏の話も『変なやつ連れてきたら殴るからな(笑)』とか言ってたのに一人も見せれなかったね。
結婚式だって。
パパがいなくなってからずっと泣いてるよ。
泣いてるからって怒らないでね?下らない理由じゃないから。
他にもいっぱいあるけどこれだけ言うね。
パパ、ありがとう。
育ててくれて、叱ってくれて、誉めてくれて、ありがとう!!
今年も海・山行くから一緒に行こうね!
娘より
父が望んでいた、
向日葵のような人になろうと思います。