名前:ドクダミ 投稿日:2022-09-19
10年越しの復讐話、聞いてくださいませんか?
私は、幼稚園児の頃からいじめられていました。
始まりは通せんぼされたり、仲間はずれ、話しかけても無視など。
皮膚が弱かったのでみんなは裸足で遊んでいる中、私だけドクターストップというやつで靴を履いていたりと、違うことをしていたのが気に食わなかったんだと思います。
そこから鞄につけていたぬいぐるみが手足をバラバラにちぎられてゴミ箱に捨てられていたり、エスカレートしていきました。
結局、誰がやったのかは卒園してからも分からなかった。
それから小学校へ入学。
幼稚園での仕打ちもあって、自分から話しかけることは減りましたが、隣の席の子とすぐ友達になったり遊ぶ約束をしたり、楽しかったです。
この頃はまだ、けっこうコミュニケーションもとれていました。
机に悪口が落書きされた事件も起こりましたが、それ以外は特に何もなく1年が終わりました。
小学2年生へ進級。
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正直わざとらしい表現ですが、ここが地獄の始まりでした。私の人生は取り返しのつかないものとなりました。
私は2-2のクラスに入り、担任は血の繋がりのない親戚でした。
担任の自己紹介の「2+2は2が2個だから、みんなにこにこのクラスになるようにしましょうね」という言葉を信じていました。
きっと毎日楽しいクラスになるんだろうなと。
ですが、それは全くの嘘でした。
新学期開始から一週間も経たない日、私は担任に呼び出され、人気のない階で2人で話しました。
話すと言うよりは勝手な決めつけと脅迫みたいで、私は泣きました。
「あなたが4組のgさんをいじめたんでしょ?
さっさと認めろ
親にバレるのが嫌だから認めないんでしょ?
先生は分かってるからね。
ほら!目が泳いでる!!」
それが担任の言い分。
30分くらいやったんだろ、やったんだろ、この嘘つきと担任に言われ続け、怖くてしかたがなくて、やりましたと言ってしまった。
本当に本当に後悔してるよ。
昔の警察の取り調べみたいなもの。
恐怖で認めたら楽になれるって錯覚してしまう。
でも今だから思うけど、いきなり身に覚えのない罪をなすりつけられて、しかもさっさと認めろと脅されたら目も泳ぎますって。
私誕生日迎えてないから当時7歳だもん笑
夢だったら覚めてー状態だよ。
なんやかんやあって、担任の車に乗せられて家に帰ることになった。
車に乗ってる間、濡れ衣かけられる恐怖と担任から怒られた恐怖で吐き気と動悸と手汗がひどくて、道路に転げ落ちてもいいからドア開けて飛び出したかった。
家にいた母に担任が話す。
母は本当なの?と困惑気味。
私はすごくすごく小さな声で、違う…としか言えなかった。
突然担任が大声で怒鳴る。
「お母さんに怒られるのが怖いから嘘をついてるんですよ!!
そうだよね!?
学校ではやったって言ったよね!」
担任は鬼気迫る声と顔。
私はまたも小声で「先生が怖くてやったって言っちゃったけど、本当はやってない…」
担任との押し問答が続き、確か母の帰ってくださいでお開きになったと思う。
担任が帰った後「4組の担任は学年主任だから、自分の立場を悪くしないためにあんなことをしてるんだ。
あんな人が子供に教育するなんて恐ろしいよ。」と母。
血の繋がりのない親戚が担任で、口封じのためにいじめられるとかレアケース過ぎますよね。
下手な作り話みたい。
自分でも自分の人生疑いたくなります。
そのあとはおかしいくらい不幸が続いた。
帰る方向が全く違うクラスメイトからの、「帰り道にgさんの悪口言ってた」という証言、実際は見てないのに怖くて証言してしまったクラスメイト。
どちらも担任が手を回していた。
結果的に私はgさんをいじめたことにされた。
そこからさらに私の人生が壊れる。
ある日担任は、私が教室にいない時に「あの子は悪い子だからみんな話しかけたらいけませんよ!」と言ったらしい。
後からクラスメイトが言っているのを聞いた。
そのせいで私は完全に孤立。
それからも担任からのいじめは続く。
給食でつぎきらなかったおかずを、担任や給食係が周って欲しい人にあげるシステムがあるんです。
私は元々少食だったので、クラスメイトよりも量を減らさないと食べきれませんでした。
担任が給食の食缶を持って私の机へ来ました。
食缶を持って来たら、生徒はいるかいらないかを言わなければなりません。
私がいらないです。と言おうとした時には、もうお皿いっぱいにおかずが入れられました。
「え、先生、私食べれない…」
しどろもどろになって訴える私に担任は、「え?早く言わないからわからなかったわ」とニヤニヤしながら言いました。
こんなことが毎日続きました。
毎日宿題や授業で間違える度にバカにされたり、参観日で私が失敗する様子を教壇に立たせて晒したり、誕生日を迎えたばかりの8歳には耐えがたいものだった。
特に給食は毎日あるから辛くて仕方なかった。
次第に食べる量が落ちて、異常なほどに痩せた。
その一年で体重は増えるどころか4キロほど減っていた。
当時の写真を見ると、ガリッガリだった。
自分では普通だと思っていたけど、行く先々で色んな人に心配された。母は今でも難民の子みたいに細かったよ、と言う。
最近BMI指数を計算してみたら、痩せすぎて危険なくらいだった。
当時はそんなの気にしてる場合じゃないから気づかなかったけど。
そんな毎日が続き、私にはある習慣ができた。
学校で泣きそうになったらトイレに駆け込んで泣く。
いじめられて辛くても絶対に黙って耐える。
家に帰ったら勉強机の下に入って、幸せな未来を想像しながら泣く。
8歳でこんなことしてたのかって、自分でも驚く。
一度だけ、外に出れなくなったことがある。
外へ出ようとすると吐きそうになり、震えと汗がすごかった。
学校を休んだら担任が電話かけてきて、ものすごい勢いで「今からお宅へ伺いますから!!」
家へ来て私を呼べと両親に言って、謝罪でもするのかと思った両親はしぶしぶ私を玄関へ連れてくる。
そしたら謝罪どころか自分が悪いとは一ミリも思ってない担任は、「学校行こう!ほら!先生が連れてくから!!」と私の腕を引っ張って玄関から引きずろうとする。
慌てて両親が止めに入って綱引き大会。
「何してるんですか!早く帰ってください!教育委員会に訴えますよ!!」と両親が叫ぶが、担任は「いいですよ?この子がいじめたのが悪いんですから。」とニヤニヤしながら嫌味を吐く。
それから覚えてない。
とにかく、その一年は人生で1番辛かった。
そして人生最大のトラウマ。