名前:離婚さんいらっしゃい 投稿日:2017-11-05
65 :離婚さんいらっしゃい:2007/01/29(月) 10:19:34
俺の母親は、俺が幼稚園児だった頃に、2才下の弟と俺とを置いて、家出した。
他に男が出来たのか、それともオヤジとの相性が悪かったのか、あるいはその両方なのかは知らないが、ともかくある日突然出奔した。
その時母は、俺と弟を抱きしめた後、駄菓子を握らせた。ふと気がつくと、居なくなっていた。
その日から母が帰ってくるのを、弟と二人で暗くなるまで待っていた。
そして初雪が降る頃に
もう母は帰ってこないのだと知った。
父子3人で迎えた初めてのクリスマス、オヤジが慣れない手つきでチキンを焼いてくれた事を
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プレゼントをもらったことよりも、ずっと鮮明に覚えている。
トレーナーの色まではっきりと思い出せる。
会社から帰り疲れていたろうに、洗濯機をまわし、その間に夕食を作ってくれた。
無骨ながら幼稚園の弁当も持たせてくれ、遠足の弁当は俺や弟の好物を、必ず入れてくれた。
金曜日はビデオ見ながらアイロンかけ。
俺達が何がしかの家事が手伝える年齢になると、よく3人で週末に料理大会したりした。
甘いものが苦手なオヤジが、弟が作ったケーキを無理食いして気分悪くなり、寝込んだこともあったw
高校になると「お前、早弁くらいしろよな」と、弁当+握り飯2個を持たせてくれたりもしたww
ちなみに今俺は大学生なのだが、最近母親だと名乗る女が突然現れた。
「アナタ達二人のことは、1日も忘れたことは無かった…」
あ、そうすか。
っつか、今更迷惑なんですけど。
こっちの生活、乱さないでもらえます?ってことで、対面終了。
腹も立たなかった。はっきり言って、単なる赤の他人としか思えなかった。
一度は愛し合い、子供をもうけた夫婦が事情があって別れる。
随分色々悩みも苦しみもしたろうにオヤジは一切俺達に愚痴を言わなかった。
昨日ちょっと一緒に飲んで、そのことを聞いてみたんだけど
俺達を育てることに関しては、毛の先ほどの迷いもなかったそうだ。
もちろん必死で育ててくれたには違いないんだけど、
「それなりに楽しんでたから、お前達がいてくれたから、ここまで頑張ってこれた」
そう言ってくれた。
オヤジよ、あんた真面目で平凡だけど、世界一の父親だよ。
チクショー、感謝してるんだよ。
本当にありがたいと思ってる。
でもこの気持ちが、伝えられねーよ。
何でかって、言葉にしたら限界点超えて、泣いちまいそうだから…。
ヘタレな息子でゴメンな。
オヤジ、ありがとうな!
ホントにありがとう!
これからウザイほど親孝行するから、覚悟しろよ!