名前:無名さん 投稿日:2015-01-23
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自分は3人兄弟の真ん中として、どこにでもある中流家庭で育ちました。
父はかなり堅い会社のサラリーマンで性格も真面目一筋で、それは厳格で厳しい父親でした。
母は元々小学校の教員をしており、典型的な箱入り娘で、真面目なんだけどどこか気の抜けた天然の入った、憎めない人でした。
そんな中育った俺も何不自由する事なく、中学、高校とエスカレート式の私学に通い特に問題を起こす事もなく、親の言われるがままに毎日を過ごしていきました。
でも何もかも自分の敷いたレールに子供を乗せないと気が済まない親のやり方に自分が納得いかなくなり、徐々に親に対して憎しみが湧いてき、気がつけば毎日親と喧嘩ばかりしていました。
自分自身、親との距離を空けるようになり気がつけば地元のDQNとばかりつるむようになっていました。
行かしてもらった学校も中退し、毎日のように遊びほうけていました。
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ある時期から親も俺に何も言わなくなり、ただ悲しそうな顔で俺の事を見守り続けていました。
俺自身もこのままじゃいけないって事を感じていましたが、手を切ることによって仲間や先輩の報復が怖くてずるずる毎日を過ごしていました。
最初はほんの興味本位で首を突っ込んだ世界が自分がその本質に気づいた時は全てが手遅れでした。
チーム同士の抗争した時は、相手側が俺んちの窓ガラスを破って乗り込んで来た事もありました。
警察のお世話にもなり、親が泣きながら警官に謝っている姿も見ました。
自分らは極道事の一つもせず、真面目にやってきたのに怖かったやろう、悔しかったやろうと思います。
徐々に母親の精神が持たなくなり常に安定剤と睡眠薬を服薬しないといけない体になっていました。
「俺のせいだ!」悔やんでも悔やみきれない自責の念が自分を襲いました。
でもその時は手遅れで自分ではどう変えようもない環境と現実がそこにはありました。
そして出した結論が自ら育った環境を、家族を捨てるということでした。
自分が居なくなる事が今自分が出来る最高の親孝行だって、そう自分に言い聞かせ、家を出る決意をしました。
50 :58 :04/11/07 18:49:02
親に啖呵きって出てきたものの、行き場所が無く途方にくれた自分が真っ先に思い付いた所が「西成愛燐地区」でした。
前テレビのドキュメンタリー番組で見て日雇い労働の方々が集まってくる場所っていうのは知ってたので、「自分は若いし体力もあるし、仕事は何ぼでもあるやろ。」という感じで行ったのですが、現実はそんな甘いものじゃありませんでした。
僕が西成に着き最初の衝撃だったのが、その人の多さでした。
朝の4時にもかかわらず、労働センターではワゴン車が立ち並び、日雇いのおっちゃん達が仕事を探し、何やら何やら雇い主みたいな人と交渉を行っていました。
自分も負けじと見よう見真似で声を掛けていったのですが、
「仕事、定員まだ空いてますか?」
「もう来る人間全部決まってるわ。」
と面白いように返ってくる答えが同じで、そして次々と定員を満たした車が出発していきました。
すっかりその時は自分にも余裕が無くなって、必死に片っ端から声を掛けていました。
しかし自分の思うように仕事は見つからず、さらに追い討ちを掛けるように雇い主から
「それはそうと兄ちゃん手帳は持ってるんか?」
「は?手帳?なんですか、それ?」
「手帳も知らずに西成きたんかいな?ここで働くのに必要な証明書みたいなもんや。」
「どこで発行してもらえるんですか?今日中にもらえますか?」
「ここのセンターの二階が発行元やけど、例え今日手続きしたとしても貰えんの最低半年は覚悟せなあかんで。」
「は、半年!?」
「そらそうやがな。ていうかそれなかったら、間違いなくどこも雇ってはくれへんで。」
不安が自分の中で絶望に変わった瞬間でした。
52 :58 :04/11/07 19:45:39
絶望に打ちのめされた俺は、センターの近くの一角で倒れるように、ヘタリこみました。
不安や希望、悲しみといった感情の糸が切れてしまって生きていく気力が全く無くなってしまったのです。
着の身着のままで出てきてる分、とっくの昔にお金は底をついていました。
後々考えたら煮炊き場とかあったのですが、その時は本当にそこまで考える余裕も無く心底このまま自分が死ぬ事を覚悟しました。
生まれて初めて死と向き合った瞬間でした。
そしたら、親の事、兄弟の事、ツレや当時付き合っていた彼女の事とか思い出してきて、とめどなく涙がポロポロ流れてきました。
とことん自分を責め、悔やみました。
そして僕に関わった全ての人の幸せを心から願いました。
不思議と死にたくないという感情は生まれてきませんでした。
そしてそこから何日が過ぎ、いよいよ自分の意識が起きてるか寝てるか解らない状態になった時、
「おい、お前見た感じ若そうだけど、何してんだこんなとこで。」
とある男性から声をかけられました。