名前:杏 投稿日:2009-09-25
日時:2008/06/13 投稿者:杏
うちの両親は、
あたしが三歳の時に離婚し、父にはすでに別の女性が、母にもすでに違う男性がいた。
別れるときにはそれはそれはもめたらしく私は兄と姉と共に父親に引き取られた
母はというとその男性とアパートをかり母の母、つまりおばあちゃんと知らぬ間に増えていた弟と暮らしていた
私には記憶が曖昧ではっきりとは覚えていないが、後妻は最悪な人で私達が気に入らないのか様々な嫌がらせをしてきた
かすかに覚えているが米粒をこぼしたりしたら殴られ そのまま食事をとりあげられる
父も、見てみぬふりだった
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助けて、と心で訴えながらも口にはだせず見つめてもしらんぷりをされたそれに耐えきれなくなった兄が、学校に行くふりをし母のアパートを尋ねた
父を呼んで話し合いをするが結局連れ戻された
またしばらくしてから今度は姉が兄と同じように母を尋ねた
それに気付いた父は急いで母の元へ
姉は号泣し「帰りたくない帰りたくない」と必死に母にしがみついた
あまりにも以上だと思った母は大喧嘩の末、姉をひとまず引き取りその後、私と兄を迎えに来た
その時 おばあちゃんも来てくれた
おばあちゃんは父をとても恐い顔で見ていたのを覚えている
それから母のアパートで暮らす日々が始まったが母の彼は働く様子もなく代わりに母が、まだ一歳になったばかりの弟を残し 私達を残し夜になるとでかけていった
その時はわからなかったが、そのアパートはキャバクラの寮だった
ワンルームしかない狭い部屋で 人が七人も住んでいたのだ
そんなある日私は遊んでいてついうっかり道に飛び出してしまった
その瞬間、車に跳ねられてしまったのだ
あいにく、家に母はいなく代わりにおばあちゃんが一緒に救急車に乗ってくれた
安心したけど、本当はお母さんにいてほしかった
結局、足を骨折するだけで入院にはならなかった
それでも夕方になるとお風呂にはいって支度をする母を見るとどんどん心細くなり痛くもないのに「足が痛いよ」とべそをかいてひきとめようとした
それでも母は家族の生活のために働きにでて行くのだ
母の代わりにおばあちゃんがいてくれたし
ごはんを作ってくれたり面倒をみてもらってたけど寂しくて仕方なかった
しばらくしてあたしも小学校にあがった
相変わらず母は夜になるといなくなるし家事はおばあちゃんがこなしていたおばあちゃんは明治生まれの人間で、
ごはんと言えばすいとんやおにぎりばっかりつくっていてたまににんにく味の炒め飯をつくってくれたりしたけどそれが不満だった
そんなおばあちゃんももう八十をすぎていた
あたしが五年生に上がる頃おばあちゃんは入院した
病名はわからないけどもしかしたら死んじゃうんぢゃないかって恐かった
しばらくしたら退院できたけど、それをきっかけに入退院を繰り返すようになった
体の調子が悪くなって病院に運ばれても「こんなとこにいてたまるか、早く帰る」と暴れたりして無理に退院なんてことも何回もあった
痴呆も始まってきた
入院しているとおかしなことばっかり言うようになり口癖は「帰りたい」
そんな状態を見かねた医師が「ご自宅にいられた方が体の調子もよくなるかもしれませんね」と退院させてくれた
不思議と、先生の言葉通り家に帰ってきたおばあちゃんは痴呆もましになりごはんなんかもつくってくれた
兄と姉は自立し、居づらい家から早くでたかったのか二人とも知らぬうちに帰ってこなくなっていた
私も、中学生になっていたおばあちゃんは、ましになったかと思っていた体調も長くは続かず常に息苦しそうで咳が止まらなかったりちょっとしたことで傷ができて治らなかったり目に見えて弱っていった
精神的にも不安だったのか学校から帰ってきて部活に行こうとするあたしにしつこく「いかないでくれよ」と引きとめてきたおばあちゃんに向かって「しつこいな!学校だってば!」なんて返してとっとと行ってしまった
また別の日も、「一人にしないでくれよ」とか「早く帰ってきておくれよ」なんて心細そうに言うおばあちゃんに「もーうるさいな!」なんて言い放って思いっきりドアを閉めてでていったりもした
心配してる気持ちも確かにあったが、あんなに入院してもすぐ帰ってこれるんだから別に平気なんでしょ
なんて、心のどこかで思っていた
早いもんでそんなあたしも高校生に上がった
母の彼はいい加減働いていた
彼と言うよりも、もう義理の父だった
おばあちゃんはまた入院してもう、退院なんてできないほどにまでなっていた
そんなある日
おばあちゃんが危篤だって病院からの電話
みんなして急いで病院に向かった
