名前:泣ける名無しさん 投稿日:2009-09-25
101 名前:代打名無し 投稿日:02/05/25 20:02 ID:MCAx6orA
5歳の時に父に死別し、自分の家は母子家庭だった。弟が1人いる。
当時母子寮住まいで部屋は狭く、母はスーパーの精肉店の隅でパートで
生計をしていた。給料は15マソぐらいで、母の帰りは不定期で日祝もパート
で働いてた。
そんな自分も野球少年で、漏れの家には不釣合いなウエブが眩しい刺繍入り
の慶彦モデルが転がってた。勿論漏れの我侭で購入してもらった代物だった。
そんな自分だが、1年に1度は市民球場に弟と一緒に連れてってもらってた。
招待券で入場した事もあったが、全くの野球オンチな母は何を思ってチケット
を購入し、2日分のパート賃金を浪費してまで漏れと弟を広島市民球場によく
連れてって貰ったのか・・・当時の漏れは幼すぎて微塵も考える事ができず、
ただ純粋に一生懸命に白球を追っていた。
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