名前:無名さん 投稿日:2012-07-14
69 :774号室の住人さん :2006/09/25(月) 19:36:37 ID:1DM49MmU
長文でスマソ。
カーチャン、手が付けられないほどやんちゃで、生意気で、言う事聞かない、
こんな俺を今まで育ててくれて、ほんとありがとう。
俺が幼稚園児だったとき、親が離婚した。
理由は父の暴力だった。
ギャンブル漬けの父は、仕事を終えて帰ってくるなり『飯!風呂!』だった。
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日曜日、久しぶりに家族で出かける事になった。
行き先は競馬場だった。
でも俺はその競馬場に隣接する公園でカーチャンの作ったお弁当を二人で食べ、
グルグル回る遊戯に乗せてもらい、はしゃいでいた。
その途中に急に大雨が降ってきたが、しばらくカーチャンはグルグル回すのを止めなかった。
二人ともびしょ濡れになって、父のところに行く途中、カーチャンは泣いていた。
幼かった俺は、雨に濡れたから悲しいんだろうと思い励ましたが、
今思えば、めったにない家族でのお出かけに、息子を競馬場にしか連れて行かない父、
それを止めることができない自分の情けなさに涙したんだろうと思う。
70 :774号室の住人さん :2006/09/25(月) 19:53:08 ID:1DM49MmU
小学校に上がったある日、父は帰ってくるなりカーチャンと喧嘩していた。
俺はおびえながら隣の部屋でジッとしていた。
しばらく口論が続いたあとカーチャンの叫び声と共に、俺のいた部屋のふすまがバリバリと破れ、
バターン!と倒れてきた。
倒れたふすまの上にカーチャンが倒れていた。
父が殴り飛ばしたのだ。
次の日カーチャンと俺は、新聞配達のパートに行ってくると父に言い、
九州の親戚の家に転げ込んだ。
その後しばらくして、父とカーチャンの離婚が成立した。
親戚は暖かく迎え入れてくれた。
生活費のないカーチャンは、昼は服の販売、夜は水商売で俺を養ってくれた。
いとこのネーチャンは俺が行ったことのない動物園や遊園地に連れて行ってくれた。
小学校の転校の手続きも済んで学校へ行き始めると、友達もでき、父の暴力もない。
毎日が楽しかった。
そんな中、俺が事故にあい、片目が失明した。
真っ先にいった病院では、回復の見込みはないと言われた。
カーチャンは金がないのに色んな眼科を探してきては、俺を診察に連れて行った。
半年ほどいろんな病院を転々としたが、結局俺の片目は光を失ったままとなった。
71 :774号室の住人さん :2006/09/25(月) 20:04:09 ID:1DM49MmU
カーチャンに休みはなかった。
九州に来てからずっと働き続けていた。
心も体もズタボロだったと思う。
そして俺の事故。
途方に暮れたカーチャンは、ある夜、俺にこう言った。
『二人で死のうか…?』
俺は嫌だと言って夜も眠らずに大泣きした。
そんときはほんとに怖かった。
片目が失明した事はどうでもよかった。
カーチャンと一緒にいるだけでよかった。