名前:ササ 投稿日:2016-10-25
俺の親父はワガママな人だった
小遣いは母親から好きな時に好きなだけもらい、そのくせ下手なギャンブルでスってしまい機嫌を悪くして家に帰ってきて酒を飲みまくり暴れるような人だった
幸い暴力を振るうことはなく、ただ怒鳴り声をあげるだけだったがこどもの俺にとっては「暴君」そのものだった
そんな親父と働き者で頭のいい母親がなぜ結婚したのかわからないが、とにかくそんな二人から俺は産まれた
小学生のときは休日になるとギャンブルで負けた親父が夕方から酔っ払て家にいるので、休日はなるべく母親と用事を作って外に出て時間をつぶしていたことをおぼえている
中学、高校、大学と自分が成長するに連れて親父の背を追い越し力で勝るようになると親父を恐れることは次第に無くなったが、それでも俺にとっての親父はワガママでギャンブルと酒が好きなどうしようも無いおっさんだと思っていた。
大学の時には酔っ払て帰ってきた親父と大喧嘩になったこともあった。
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そんな親父のことも理由の一つとしてあり俺は大学を卒業して県外に就職し働いていた。
就職して3年が経ったころ、親父が入院することになった。
親父は長年糖尿病を患っておりそのせいで心臓や末端神経が弱り右足を切除することになってしまった。
疎んじてきた親父とはいえ血の繋がった家族のことなので急ぎ自分が帰省して、手術に立ち会った。
手術が終わり会いに行くと親父は右足を切除し憔悴したまま病院のベッドに横たわっていた。
かける言葉もないまま帰省が終わり県外に戻りしばらくすると母親から連絡があった。
「お父さんが〇〇ホテルに泊まってバイキングに行きたいんやって」
そのホテルはまだ俺が小さいころ家族で行った実家の県内にある遊園地に付属しているホテルのことだった。
家事を手伝ったり買い物に一緒に行ったりなどの家族サービスはほとんどせず
旅行や外泊を嫌っていた親父がなぜそんなことを言い出したかその時は分からなかったが連れて行ってあげることにした。
ツーリストをやっている友人に手配を頼み、親父を抱えて車に乗せ、ホテルに着いてからは車椅子を押して周った。
バイキングで食事をしている時も体が弱ってほとんど食べれず頼んだジョッキビールも一口飲んであとは全部俺に譲った
そこにはかつて家庭に君臨していた暴君の姿は無かった。
20年振りに親子三人同じ部屋で川の字になって泊まり
ホテルを後にし病院まで送っている最中に
「お前には世話になった、ありがとう」
突然親父が言った。
それは25年の人生で初めて聞いた感謝の言葉だった。
そんな家族旅行を終えて一週間後親父は脳梗塞で麻痺で会話ができなくなり。
その二週間後弱った心臓が原因でこの世を去った。
結局家族旅行で言われた感謝の言葉が
俺の聞いた最後の親父の言葉になってしまった。
恐らく親父は自分の死を勘付いていたのでは無いかと思う。
そこで家族の思い出の地に旅行に行き自分の成長を見届け感謝の言葉を述べたのだと思う。
自分にとっても疎んじていた暴君としての親父ではなく年老いた父親に最後の親孝行ができた。
亡くなってもうすぐ一年が経つがあの家族旅行は自分にとって一生の宝物だ。
あの時に言われた言葉を胸に暴君のいなくなった世界を生きていきたいと思う。